1、日本の電子部品産業史と今後
今日は中国の話しを中心にお話しをさせていただく。
これまで電子工業界で60年仕事をさせていただいているが、電子・自動車工業界は大きな曲がり角にきている。特に、電子工業は先の見えない状況まで追い込まれている。エルピーダの破産、パナソニックやソニーなどの大手電機の不振は、新興国企業に市場を奪われているためだ。しかし、これは時代の流れでもある。
かって、1950-60年代の日本は、欧米の技術を学び彼らの産業を崩壊させた。1970-80年代は学んだものをベースに高度成長し世界を制覇した。1990-2010年代は、中国はじめ新興国が先進国に学び、今や日本を凌ぐ力をつけた。こうした時代の流れは避けられないことであり、日本がこれを克服しどうやって生きてゆくべきかが大きな関心事である。皆さんと一緒に考えていきたい。
私は自動車産業、電子産業、IT産業を経験してきました。5-10年先を考えると自動車産業はIT化が進みます。また、EVの普及でエンジンがなくなると、自動車関連の部品産業がどうなるか危機感があります。この話しも時間があれば後ほどお話ししたい。
電子産業は新しい産業として成長してきた。電子デバイスの進歩がこの変革を支えてきた。アナログからディジタル、真空管からトランジスタ、IC、そしてCPUが出現してソフトウェアが誕生した。90年代にはIT製品、携帯電話がでてきた。この頃から次第に日本は遅れてしまう。
2010年代に入るとiPHONE、iPAD、クラウ
ドが出現した。これらは革命的な出来事である。OSではAndroidが出現した。PCもWindowsの出現でソフトウェアは簡単になってしまった。Androidはソフトウェアのオープン化を加速し、ソフトウェア産業も低迷することになる。
機器ビジネス・物作りから脱却し、ネットワークやメディアなど活用した融合型技術で、売り切りのビジネスから永続的なビジネスに転換しないとやっていけなくなっている。変化が激しく、この先はどうなるかわからない。
2、アルプス電気の成長の軌跡
私自身は、20人程の町工場の片岡電気に入り、営業・物作りをやった。その後、米国モトローラ社との合弁会社で仕事をした。その後、米国はベトナム戦争、欧州は豊かな生活を謳歌、中国は大躍進運動などで世界が20年間停滞した。その隙に日本が高成長を続け、日本が一人勝ちの時代がきた。この前の米国は長期的視点で経営し、従業員を大切にした。日本は米国の生産技術・品質管理を学んだ。
ベトナム戦争以後、米国の経営は短視的な経営に転換し、米国は産軍共同の経営が幅をきかせた。モトローラも軍事産業で大きい利益をあげた。
これを機に、米国との合弁を解消し、自社ブランドを立ち上げゼロからスタートした。今年で30年になるが、最初は創業者経営で、スピーディな判断で会社は発展した。
韓国は二代目経営者だが、台湾・中国は初代の創業者経営で経営者自身がリスクをとって判断している。しかし、彼らも10-20年すれば日本と同じ問題に直面することが予想される、歴史の繰り返しだ。現在の日本企業は成功体験の上での経営で、社長在任も2-3期と短く、問題を先送りしてしまう。韓国や中国も同じような事態になるだろう。
会社を設立し20年が経過し、会社は急速に成長した。その過程で、中国でソフト会社を創業した。現在、産業構造の変化で少し苦しい状況にある。
英国で産業革命が起こり、米国、日本、韓国、そして台湾・中国へと時代と共に浸透してきた。こうした流れの中で日本はどう生きて行くかを考えねばならない。
ALPSは、現在、2万人強の人員で、福島、宮城に工場がある。中国展開は1992年からスタートした。ALPINEは4000人強の会社で、1995年開発会社を大連に設立した。瀋陽とあわせ、中国に1200名のエンジニアがいる。そして、統括会社を設立した。その後、親会社のALPSが統括会社を設立した。親会社と子会社の両方が統括会社をもっているのは大変めずらしい。
3、中国でのソフト会社創設の支援
これから、NEUSOFTの話しをしたい。この会社は中国のソフトの代表企業で、1992年に設立された。
私は終戦の前後に丹東にいたため、中国東北地区に土地勘があった。工場設立の調査のため東北地区を中心に、いろいろな工場を視察したが、なかなか適当な所が見つからなかった。1990年代のこの地域は大変貧しかった。困っていたところ、瀋陽で東北大学(中国の大学)を紹介され、李教授、劉教授に出会った。李教授はアナログ計算機の開発者で、2人は強い師弟愛で結ばれていた。部屋にはIBMやNECのコンピュータがあったが、停電で動いてはいなかった。まさに偶然の出会いだった。
彼らは、お金がなくて困っていたのに、大学幹部が一ヶ月分の給料分のお金を出し合って歓待してくれた。これに応えて、彼らを日本に招聘し、往復の旅費も提供した。
2人は、半導体メーカ毎にOSが異なるのが当たり前の時代に、一つのOSですべてのCPUで動かすことが出来ると言うので、先行開発のため25万ドルをだした。新会社は若い人20人からスタートした。
設立当初、彼らに「中国でソフトウェアは砂漠に水をまくように浸透していく。市場は無限にある。中国一のソフトウェア会社になりなさい」と話した。劉教授は当時31-2才で、中国の若い人を教育したいと米国留学から帰国した。彼らの努力で会社は成長し、4年後に上海に上場し、調達した資金で瀋陽にソフトウェアパークを作った。続いて大連政府の要請もあり、ソフトウェアパークを設立した。今、大連には800社のソフトウェア会社があり、日系だけでも300社ある。
創業一年後に若い人に話しをした。「どんなに良い商品でも売れない、マーケッティングがないと駄目だ」。ソニーは井深さんの技術と盛田さんのマーケッティングで発展した。これに応え、すぐ、劉さんは国内40ヶ所に営業所とサービス拠点を設立した。これだけのネットワークを持っているソフトウェア会社は他にはない。顧客の近くで顧客の声を聞きながら事業は拡大した。研究所も主要都市10ヶ所に設立した。携帯電話は北京、SAPは南京、発電は西安など目的別に各地に開発会社を設立した。
その後、人材教育を目的に大学(東北情報技術大学)を設立した。2年間は語学、その後に実務教育を学ぶ。社会で役立つ人材の育成を目的とした。政府管轄の大学は北京大や精華大学など40大学ほどあるが、その一つにまで成長した。組み込み、交通システム、社会インフラ、医療など幅広い分野の研究開発を進めている。医療は画像技術を活かし、MRIやPETを研究開発している。
創立当初の出資は当社と現地経営者とで50:50の比率からスタートした。その後、米国や東芝などの日系他社も加わり、最近の株主構成はALPINEが15%で、その他、中国大手鉄鋼会社、INTEL、SAP、東芝などが出資している。日本法人はじめ、米欧など世界各地に会社がある。NOKIAやHarman/Beckerなどのソフトウェア会社を買収し、国内市場の飽和を見越してグローバルビジネスを念頭にした経営をしている。
4、NEUSOFTの成長
NEUSOFTの成功の原因は、偶然の出会いから始まったが、①幹部の誠実な人柄、向上心、②大学あげてサポートに加え、中央地方政府の強いサポート、③1990年からの中国IT産業の急成長の3つが挙げられる。大変幸運だったと言える。しかし、この成功物語は20年前の話しなので、これから出ていく人には参考にならないかも知れない。
中国の成長の兆しは1995年に始まり、2000-2005年からはすごい勢いで成長、日本を凌駕していった。その間、学者の人達に、経営学、原価管理などを教えた。Haierの総裁もALPINEに劉さんの紹介で勉強にきた。総裁は、すごい向上心で、帰りの電車で話しをメモにし、一週間後に総経理以下が会社に勉強にきた。日本の1960-70年の経営者と同じような向上心があった。
中国での成功のためには、人材育成、企業との提携、企業文化の重視、人事考課とインセンティブ重視(欧米的経営)、市場への柔軟な対応、顧客・政府との関係重視、製品ニーズの把握と対応、コストリダクションなどが挙げられる。
劉教授の日本での講演から彼らの考える経営について紹介する。
彼らは、リーダーシップが企業発展の核と考え、リーダーシップを教育し競争力を育成し、新しい市場を開拓していく。リーダーシップはバリューチェインの基礎となる。これは、日本と同じアプローチで、大切なことは実行力があったことと言える。
リーダーシップ向上には、誠実、情熱、向上心、哲学が鍵となる。実践とリーダーシップ育成を結合したトレーニングでリーダーを育成している。
劉総裁はダボス会議に必ず出席し、トップ交流で人脈の構築を重視している。日本でダボス会議に出ているのは日産のゴーン社長くらいだ。これが日本の経営者の弱いところだ。次に大切なことは、熟慮したうえでの、決断とスピードだ。中国はトップダウンでものが決まる。
中国では初任給は高くないが、2年目から給与に格差をつける。毎年試験を実施し、業績評価を基本給以上に加算し、出来る人を優遇する。日本は年功序列で、優れた人が退社する。目標管理と業績評価は360度の視点で評価する。誠実、情熱・向上心、哲学の3つの視点から幹部を選択する。学歴より社会で役立つ教育と仕事を通じて勉強する姿勢が大切だ。日本でも技術進歩が速いため勉強50%仕事50%として、仕事を通じて勉強し向上するのが現実だ。
5、市場・産業の発展と中国
これから中国の国について話をしたい。
2000年から高成長が始まり、2005年から超高速成長、中産階級の増加、自動車販売世界一へ躍進した。2010年からは、地方中核都市の成長が市場を牽引している。
中国の成長を自動車で見ると、187万台/2000年、535万台/2005年、1721万台/2010年と増加し、今や、世界第一の自動車販売1850万台を達成した。
自動車産業は、後進国の台頭で、現在は世界で8000万台、今後、9000万から1億台が見込まれ、成長産業であることに変わりはない。
所得を見ると、中産階級の収入は日本700万円/年に対して中国は400万円/年だ。物価は日本の1/3だ。富裕層は1000万人で、ミドル層あわせると3億人もいる。家は平均200平方あり、広さが購買力につながっている。
現在、500万都市が88、1000万都市が13ある。最大は重慶で3000万人だ。大都市の成長は頭打ちの傾向だが、鉄道や交通の社会インフラの整備により、地方が発展している。車がなくては生活できない地域、地方中核都市の需要が今後の成長の中心なる。この需要を獲得することが今後の中国進出の鍵となる。
ビジネス形態では、BtoBビジネスが中心で、日系企業は外資系企業に特化した型の企業が多い。その理由は、お金の回収が容易だからだ。一方、地場の購買業務では支払いが悪いため、信用状態の確認が重要となる。一般には、集金人が必要で、時にはトップ同士での支払い交渉を迫られることもある。
ローカルメーカは、製品によって日本と2,3年遅れか、中には同等レベルまで進化している製品もある。地場企業の製品は20-30%安価のため、日系企業は苦戦を強いられている。ボリュームゾーン製品では、地場製品は日本製の半値が常識で、とても勝てない。つまり価格競争を回避する為にも、アッパーミドル層をターゲットにするのが良い。
自動車市場では、世界中の企業が中国に進出し、世界で最も競争が激しい。進出が比較的早かった日本の自動車メーカの苦戦が目立つ。シェアの1位から3位は欧米企業である。いずれにしても自分の力だけで勝つことは大変むずかしい。
国が51%の資本をもっている企業が多いのも特長だ。社会インフラを目指すなら現地パートナーを組んでの進出が望ましい。東芝やNECもNEUSOFTと合弁を設立して現地企業を狙っている。
成功企業で有名なのは資生堂だ。中国人が日本人の肌に近いことも成功の一因と言われている。コマツ、ユニチャームも成功事例だ。
進出に当たって、徹底して独資で頑張るのは時間がかかり苦労はするけれどこれも一つの方法だ。この例として黒猫ヤマトが挙げられる。
6、中国での事業成功への要諦
合弁企業が参入しやすいが、相手が拝金主義の場合は、その後の成功は覚束ない。従って、50:50の出資比率で事業をスタートし、その後徐々に買い取る方法が良い。相手を下請け扱いにするのでは、相手企業のモチベーションが上がらず、成功しない。
これからの中国は、一本調子で成長するというものではないかも知れないが、5%前後の緩やかな成長は間違いなく続く。それには共産党の一党体制が続くことが前提だが、5-10年は大丈夫と考えている。仮に体制が乱れることがあれば、自由化路線となると、どうなるのかは判らない。
政府は、所得を上げるための政策を重視している。中産階級のライフスタイルの変化、男女差がないため、物価を考えると一家族で2000万円相当の所得を持つことが想定される。マイカー、マイホーム時代がしばらく続くだろう。
学歴面では、小中高での激しい競争を経て、大学を出ても就職率は平均60%だ。勉強しないと生きていけない大変な社会である。
貧困問題は深刻だ。最低賃金は、丹東は月収600元、大連1300元、深圳・広州1800元だが、加えて、社会保険料として給与の50%の会社負担が重い。そのため、人件費高騰で労務費が上がるので生産コストを抑える為にも生産では自動機を導入しないと競争に勝てない時代に変わりつつある。
良いパートナーと組むことがリスクを低減するためには有効だが、捜すのは難しい。とにかく、人間関係を重視し、教えることが大切だ。日産が成功したのは、相手の価値を尊重したことが一因と言われている。
ソフト開発では、用件定義の悪さを棚に上げ中国企業のせいにする日系企業が多い。こうした下請け的発想では成功しない。加えて、現地責任者を5-10年固定し、方針の一貫性を貫くことも大切だ。
人材の現地化は当たり前だ。総経理含め、執行役員は現地人を登用すべきだ。なかなか決心が付かない企業が多いが、人事が最も大切、失敗したら変えれば良い。「3割成功すれば良し」とする柔軟さが必要だ。「開発も人事も3割くらいで良し」とする心構えでの余裕がほしい。日本での成功談は忘れることだ。注意しなくてはいけないことは、ある時、法律ができてさかのぼって税金をとるような、制度変更への対応だ。
中国で起業するにあたって理解しておくべきことと役立つことを列挙してみる。
○世代の壁がある。文革の前後で考え方に大きな違いがある。
○トップダウン経営が当たり前で、トップが決める故に、上司の指示待ちの人が多い
○潜在的な技術力は高い、軍需技術をはじめとして自作パワーは強力
○医療に役立つ画像技術のレベルは高い
○現場を支える部門だけでなく、人事、経理、法務、情報部門も重要
○共産党の企業内組織が必ず存在する。労働争議などでは重要
○配当を戻すことは可能
○経営には公平性と右腕の人を持つことが大切
○駐在日本人と中国人の給与差の問題は常に付きまとう、
○大事な話は通訳を介することは大切、考える時間をとって慎重を期すこと
○歴史観の違いと愛国心は十分認識しておく。心ある人はこの点は触れない
○大卒の毎年の卒業生は600万人、猛烈に勉強しており極めて優秀
○留学先は優秀な人から欧州、米国、日本の順
7、日本の電子産業の関する将来像
最後に電子産業について話しをしたい。
電子産業がどうなるか危機感を持っている。欧米産業界の真似をして高度成長した日本を、猛烈な勢いで新興国が追い上げてきた。日本の成長産業だった電気機械や自動車産業の今後は厳しい状況といわざるを得ない。特にEV車が主要製品となれば、電池、モータ、インバーターなど5つの基幹部品が安くなれば自動車は何処でも作れ、プラモデルに近づくとも言われている。情報通信も苦戦しているし、ソフトウェア産業も大きな曲がり角にいる。日本の半導体も世界シェア50%から20%に転落した。部品産業も厳しい、同じ道を辿るかもしれない。こうした産業建て直しには、中国を消費地としてみることが必要だ。
技術革新、IT製品の革新は残念ながら日本では起こりにくい。米国は移民国家で、世界中から優秀な人材が集まり、新しいことが生まれる。今のまでは日本には完成品メーカーがなくなるかもしれない。素材から開発した製品だけは現在でも競争力があり強い。
日本は3年先のことで精一杯、株主からのプレッシャーでますます短期的思考が強くなっている。
製造業のGDPの半分は自動車と部品だ。AV産業の規模は18兆円で、その内で10兆程度がTVで数字では大きくない。問題は雇用の減少だ。
日本は融合型、システム・ネットワーク型の産業に転換し、継続的に収入が入る形態への転換を図らねばならない。しかし、なかなか良いアイディアがないのが現状だ。ITもクラウドで事業構造の転換が必要だ。物作りの重要性は正論だが、それだけでは現状の打開は難しいと考える。
◆質疑応答◆
Q)質問 A)沓澤様 C)コメント
Q)テレビ・スマホ・携帯のように、欧米で新製品を開発して中国・韓国・台湾で生産するという構図に対抗できず、製品で競争力を維持できているものは少ない。積層コンデンサーのような微細な部品で、日本の競争力が維持している幾つかの材料があるが、将来的には、このままでは競争力を失っていくのではないか。自動車産業を含めてどのような見通しをお持ちですか。
A)一般的にはそう言われているが、発展途上国はどんどん日本に追いついてきている。日本はナノテク技術では優れていると言われるが、サムソンは半導体のウエファーをつくるマウンティング技術では日本を凌駕しつつある。日本はナノテクを利用した精密加工が一つの武器であると思っている。しかし単に素材だけでなく、開発した素材とてナノテクを組み合わせた産業に特化していかないとアヘッドすることは難しい。今後、企業の生産機能は、海外シフトするわけだから、日本での機能は開発型に集中せざるを得ない。問題は開発に投資する費用はどこから捻出するかである。海外での販売活動や生産活動の収益を日本に還元させて、本社費用と開発費用を捻出して先端のものを開発していくことが必要になる。
多くの企業が連結決算で、連結では利益があるが、その大半は海外の収益である。単独では利益がない。したがって本社に配当資金がないという悪循環になっている。
日本はハイテク事業を一生懸命開発してアヘッドするしかない。同時に日本が米国に遅れたように、革新的な相手国に競合するためには、販売で完結するモデルではなく、持続的に収入が入るようなビジネスモデルを展開していかねばならない。
さて、今後の産業については
① 過去60年間、有限の地球資源を破壊してきた。石油だって5000m以上掘削するとおしまいだ。我々の産業もそれを念頭に置きながら、時間がかかるが「再生可能産業」を生み出していかなければならない。農業もバイオも再生可能産業だ。まったく新しい科学分野である。
② 最小限のエネルギーで実現する産業にアヘッドする。
③ 地球の環境を浄化する産業
この3つの産業が救いどころである。5年10年あるいは30年50年かかるにしてもその方向に行かないと我々自身が自滅してしまう。長期レンジで考えた場合一番手っ取り早いのは「環境汚染を浄化する産業」。これは先行しているし、「省エネ」も進んでいる。
「省エネ」車でいえばハイテクを使ったハイブリッド、今や、VW・マツダがやっているように、従来の自然エネルギーを利用しているのではあるが、車をコンパクトにして走行距離リッター30kmした技術など、もっと徹底的に追求したらアヘッドできるであろう。一番難しいが、長期的にトライしたいのは、再生可能なエネルギーの産業だ。生物は皆、エネルギーを再生しているのだから、その機能を再考したい。
短期的に言えば、当面10~20年間のサイクルでは、中小企業が持っている技術力が大きいが、我々は組立型の部品をいつまでもやっていてはだめだ。この分野は労働集約で中国に行く。素材をベースにした部品・モジュールそれもブラックボックスにした方向に大きく転換・シフトして行かねばならない。
車・医療・健康に関係するものは、生命にかかわるため、製品化に時間がかかる。加えて評価設備が高額になるが、あえて投資して行かざるを得ないと考えている。
それからIT化がどんどん進む。そして、車は最終的には自動運転・安全面確保などの膨大なソフトウェアが鍵になるが、苦しくとも挑戦していく。自動車メーカーの場合、今受注しているのは2015年モデルであり、膨大な開発費が3年以上かかる。その間は収入がなく、回収できるのは5-6年後である。かなり体力・キャッシュがないと対応できない。車メーカーのIT化は大きなテーマある。ところが、IT化には教科書となるべき処方箋がない。皆様のお知恵を拝借したい。
これから20-30年間生きる人は、自分の子供たちの世代のことを考えざるをえない。
C)中国ではボッシュ型がうまいやり方と思う。一旦、技術導入し採用すると逃げられなくなり、継続的な中国との取引が可能になる。今、中国の自動車メーカで弱いのは制御ECUだ。現在、中国企業が開発できているのはディスプレーとか、オーディオだ。彼らが欲しいのはECUの技術だ。ボッシュは一世代古いECU技術を技術供与することで離れられない仕組みを作っている。これから重要となる「つながる」製品でも、ネットワークで接続され車の基本機能と連携するECUが重要となるが、中国の本音は特定の国の呪縛から逃れたいはずだ。
先行して参入した日系企業では技術開示に抵抗があるが、まったく開示しなくて、中国で成功することは難しいのではないかと思う。
体制の構築が難しいという話があった。ストライキなど労働争議への対応にも、中国人の幹部が必要なことを痛切に感じた。
Q)車もパソコンのようになるという雰囲気が感じられる。そのように仕向けているということかも知れないが。
C)「走る」「曲がる」「止まる」の安全に係わる基本機能は、一つ間違うと命にかかわる。以前よりパソコンと同様との認識は薄れているように思う。
また、広州などでは、HVを大衆車の範疇に位置づけたナンバー販売政策をとっており、環境車の本命にはなりそうにない。VWやマツダのようなコンパクトエンジンで引っ張り、時間をかけてEV・PHVに移行したいと考えているのではないか。
Q)中国に開発拠点をつくり、中国市場向の
機種をつくらせたいが。転職が多く落ち着な
い。「育てても、育てても技術が外部へ流れて
しまう。」まったく開発でない状態にある。分
析すると結局お金の問題ということになる。
A)我々も20年やっている。中国市場はどんどん変化している。大きく言えば
①需要別
ボリュームゾーンと中産階級の問題
②流通別
BtoCの場合は専門店しかなかったが、量販専門店・量販店・コンビニなど流通そのものが変化している
③マーチャンダイジング
日本で製品設計し中国向けにうまく商品化する問題
中国で販売するために、商品企画やデザイナーを派遣した。北京・上海に専門家がいるが、他の地域では今育てているところである。
中国市場を攻める場合、流通、商品企画という一連の問題を考えていかなければならない。米市場3-4年で成功してもヨーロッパは10年かかる。中国は試行錯誤してやらざるを得ない。
中国で成功しているところもある。ヤマトとかファミリーマートだ。企業文化を徹底的に教え込むとか。派遣を使わないとか。給与をキチンとはらうとか。トップがしっかり考えて日本のやり方を移している。
日本人が直にできないことに、アンダーテーブルでものごとを決めると言う風習がある。この種の問題解決には第3者を使わざるを得ない。
もうひとつは国営企業の影響が大きい。たとえば上海自動車は51%中央政府・市政直轄でもある。上海市の市長が同社の董事長になっている。今、外資を歓迎しているが、そのうちに巧妙に「我々でやるよ」、「出ていけ」といわれる覚悟は必要だ。
中国には3つの力がある。共産党 解放軍 民衆のバランスをどうとるか苦心している。もっとも恐れているのは民衆の力で、政府は極端なこともできない、企業も同様である。
様子を見ながらうまく立ち回る。社会主義的資本主義だが先進国並みの自由主義の経済の方向に・・・・。若い人は勉強している。緩やかに欧米化に代わっていくだろう。
(先生に言ったことは)新しい経済原論 経済学者は新しい財政・経済考えてくれ。
20年敗戦経験 国債・保険・年金の価値は零となり・預金は封鎖・新円は月500円引出しのみであった。現在我が国の収支は40兆収入、90兆円の支出、消費税では追いつかない。
消費と支出のバランスをどう考えてやるか、とことん行ったらどうなるか? 外貨持つか、金を買うか。処方箋はない時代の流れを見れば資本主義の方向にいくか。マーケットを見ながらやらざるを得ない。
Q)ジレンマがある。静電気のようなもので、不安定なものを扱っていると考え、その不安定なものをまとめるということかもしれない。「情報いっぱいください」「勉強したいのです」、という要請に答えて情報を出すと、“横(友人や他社)に流れる”。文書化というのが彼らには重みがない。彼らの本質ではないから。
C)ある日系企業で、グループ単位で損益を見えるようにしたところ、「給与を上げろ」とは言ってこなくなった。ドンブリ勘定でやっていたものをグループ単位で損益出すようにしたら変わってきた。やはりキチンとすることが大事なこと。中国の人が一緒に考える仕組みが大切だ。
C)成功した事例に製造業は少ないようだが、何をもって成功というのか問題だ。キャノン・リコーは自分たちの評価では成功している。
日本のビジネスは中国経済特区でのビジネス、
特区内販売&輸出で成果をあげた。
現在、国内市場が大きくなって現地のBtoCビ
ジネスをどうやるか悩んでいるのが現状では
ないか。
よきパートナーをどうやって探すか。沓澤さんと劉さんとの出会いは運命的で、一般に求めてもできない。拡大市場におけるパートナー探しはどうしたらよいか。
A)中小企業の事例では台湾企業と組んだところが成功している。
合弁会社を設立した中小企業を例に取り上げたい。
この中小企業は3箇所(タイ・インドネシア・台湾)で上場企業にまで成長させた。中国語を使うし、人の使い方うまい。営業人事面でも、日本欧米から注文を取ってくればコミッションを出来高払いで支払うと言う成功報酬制を導入して、成功している。
しかし上場し株価が上がったからと言っても売却代金を国内に持って来れない、という悩みや相談もある。中国では、昆明・東莞・蘇州で事業に成功した。同社は、逃げ足も速い、たとえば上海工場5年たったら「出ていけ、その工場の場所に市庁舎をつくるから」、と言われたりした。このようなケースでも、大企業には保証金を支払うが、中小企業は、この種の変化に際しても、何の対処措置も取れない。
この種のリスクを回避するには、台湾企業と提携するとか、手を考えるべきである。また大手企業には子会社・その協力工場たくさんあるので、その場合大手企業のトップと話すこと。商社・銀行の紹介もよい。但し、協力工場と話すとたかられる、という虞もあるので注意したい。
同社は10案件やって、その中で3つは、失敗している。
所詮は人間関係が重要だから、信頼している人からパートナーを紹介してもらう、のが良い。大手企業は、出資・M&Aを行うことでリスクへの対処ができるが、、。
C)台湾では大震災で大きな被害を受けた時に現地へ進出した。誘致の仲介をした人は一生の恩と今でも話している。そのように人間関係ができれば、新たな進出に際しても、企業幹部の人材を紹介してくれた。
また、製造幹部だった人物を営業責任者に登用し、売上代金の回収に活用して成功した会社もある。その人は最小で最大の効果を上げるため、顧客のキーマンを、大学・故郷・縁故を徹底的に調べ、それに係わる人だけを営業として採用した。そして中国全土を僅かに十数人でカバーしている。
A)中国のある企業に製造を依頼していた企業があるが、その日本企業の幹部の嫁が中国人で、委託した企業は、その親の企業だった。品質クレームに対して、身内に恥をかかせるな、ということで日本企業以上にクレームに対処している例にもでくわしたことがある。企業の平常の努力よりも人間関係や交渉等の人心を如何に取り込むか、が重要だと思う。
民衆と政治体制の葛藤、現地企業の接収の権限、など相手国の国情に関する知見も重要だ。その意味では中国では、水不足、環境汚染、砂漠化など所謂トリレンマという問題もある。そこで砂漠化は土壌のアルカリ化現象だから、産業廃棄物の硫酸を脱硫装置を導入して回収し、酸にして砂漠を中和させ、土壌の軟質化を図り、そこに食糧を増産するという、日本の電力中央研究所が中国支援で実験している総合的支援なども意味がある。
また黄河には水が無いので、モンゴルを越えてロシアのツンドラの解凍でできた水を、パイプラインを敷設して、黄河に注ぐなど、環境問題を意識した大型プロジェクトなど支援できれば 日中の基本的問題は解消に向かうかもしれない。法律面でも、再構築が避けられない。
更に為替管理撤廃と言う問題にも直面している。中国はいずれかの時期に為替管理の撤廃を迫られるから、中国最大の経済問題に関しても日本の経験を移植すると言う支援の方法もある。そのような大局的視点に立って、支援することで、両国関係を健全なものにすることも不可能ではないと考える。
しかし現実には投資家が暗躍し、企業や統合や買収も多い。株を安く買いそして巧く売却するということも多数で会ったことがあるが、所詮は信頼関係をどう築くかではないだろうか?
その他の事例を紹介しておきたい。
①信頼できるパートナーを見つけて当社は50-50の出資比率で会社を設立したが、その後持株比率を上げて結果的に企業を買い取った。しかし政府認可が必要な場合には合弁を残す必要がある。たとえば物流、港湾などは、中国では独自で事業を行うことは難しい。
②拝金主義の面もあるから、相手をうまく利用するという考
えも否定できない。その場合でもだめだったら別れるという覚悟は必要だ。素晴らしいパートナーはそんなにいないと考えるしかない。
*山田電機:瀋陽から事業を開始したが、現在では地方都市(800万人規模)や周囲を合わせて2000万人の消費者を取り込んでいる。
*北京・上海でも競争は激しいが、500万人都市が88もあるから、そこから成功して、その後中核都市へ拡大しているが、その戦略は当を得ている。この種のアプローチは、地方都市では尊敬される可能性も高い。
C)イトーヨーカ堂の成都の店舗はダントツに大きいが、沿岸部は進出してはいない、という事例もある。
Q)中国人の社員採用に関して質問させて欲しい。つまり経験則からみた場合、中国人のモチベーションを上げて管理することは難しいと考えている。アルパインでは社員をどのように処遇しているのか?特にネオソフトは正規社員なのか派遣なのか、カーナビ開発の開発にはどのような人事を行っているのですか?
A)NEUSOFTは創業者の劉さんの考え方に大きく依存しています。就業規則・フリンジ・その他の人事規則もうまく機能している。一方、アルパインでは日本の経営を引きついでいる。大連ではしかし、技術者の絶対人員が少ないという状況である。20年社員経験は金の卵であるが、経験5年で退職したケースでも大連での賃金が8000元(北京では1万元)で、家賃も高い。会社へ戻ってくる人もいる。社員のモチベーションをマネージすることは難しい課題である。つまり、中国人は中国人のことを良く知っている、と考えている。
ところが日本では、欧州企業の幹部になっている日本人は高い給料でるが、中国では決してそうではない。日本人の海外勤務者は国内では1000万円の賃金なら海外、特に中国では2000万円相当の賃金であるとする。しかし、中国現地の現地人部長の賃金は400万円程度で、中国人の部下に当たる日本人のほうが高賃金と言うことにる。。この矛盾がある。優秀な人材は厚遇しないと次世代の人のモチベーションにも影響してくる。賃金体系は欧米化を考えすべきだろう。20万や30万ドルの賃金を検討すべきで、特に高級幹部には日本人並みの給与を払うことをお勧めしたい。公募でもステータス・給与などは重要な要素である。しかし職種面では、ソフト技術者はいるが、ハードウエアの知見を持つ人間はいない。現実には、次第に、中国人をマネジャーにしようという動きも出てきていて、改善しつつあると見ている。
Q)業績のいい会社はいいですが、仕事が減り解雇を考える場合の問題はどうしますか?解雇には給与の何倍も手当を払う必要があると聞いていますが、、、。
A)一緒に考えるしかないと思う。
たまには一緒にフットボールを遣るとか、一緒に飲むとか、またまたお祭り好きですので、巧く利用して人間関係に配慮することが重要だと考えている。
中国は広いから、東北地区、揚子江領域、広東州、などそれぞれ異なっている。たとえば丹東では、仕事をくださいという人が多く、QCサークルも盛んであるが、山の多い山東省では会社を辞める人が少ない、というように、、。人口は13億人もいるので穴場もある。
中国人を理解することが重要であり、「俺のいうことを聞いてくれない」と不平をいう前に、その理由や根拠を質問したのか、ということを確認する、理解すること。
5年後GNP世界一になる、その中国は無視できないし、その影響も大きいものであるから、政治・経済の動きにも注目しななければならない、と考える。 (了)