調査研究

グローバル化と技術戦略の相克

 


                          理事長 許斐義信

 

◆はじめに 

企業経営の要諦の一つに経営環境の変化に適応して事業モデルを変革するという課題があります。大きな変化は過去から幾つかの変化に曝されてきており、1990年代の後半以降に直面してきた大きな変化に対して日本企業は総体として巧く乗り切ってきました。その際、技術のマネジメントの役割は少なくはなかったと考えています。先ずは過去の変化と日本企業の対応について簡単に確認しておきましょう。 

1970年代からの環境と企業 

先ずは1970年代に起きたOPECの石油カルテルに対応した時点では、自動車産業を中心にして省エネエンジン開発で他国を凌駕し国際競争優位性を高め、圧倒的な輸出競争力を確保できたと言ってもよいと思います。また日本のエネルギーコストが不利な産業は有利な国際立地を求めてバリューチェーンを再構成しました。例示的にアルミ産業を取り上げてみますが、電気代に依存した精錬工程を産業が協調してコストが安価な立地へ産業を思い切って断行しました。代表的事例がインドネシアのアサハンへの精錬工程の移転でした。また化学産業でも特に電機への依存度が高い塩化ビニール産業では2塩化エチレンを生産するまでの工程を物流コストも同時に包括的検討してこれは米国へ移転しました。 

市場のニードとの接点の工程は需要家に近い工程を、そしてコストが重要な工程はその国際的に最有利な立地へ生産工程を移転しました。つまり技術主導型の生産工程を強化すると同時に技術よりコストが重要な部分は思い切って工程を分断して、それこそグローバルに生産プロセスを再構成すると言う勇断で他の先進諸国以上に巧い対応を実行できたと言ってよいと思います。 

同時に起きた経済学の比較優位論をベースにした国際化に対しては、実は日本の企業は概して追従せず、元来コストが決め手であった電子機器産業での組み立て工程は自動化・ロボット化という新たな生産技術の開発で勝負を挑み、主としてアジアへ生産拠点を移動した欧米の企業に対して、技術で勝負を挑み、結果的にはVTRなどの技術集約的製品の開発に唯一成功したのが象徴的な出来事でした。生産技術の開発、生産技術と製品技術の融合、などに技術資源の高度なマネジメント力は他国を凌駕する成果を上げたと言えると思います。

この間、単に電子機器産業に止まることなく、自動車産業の国際競争力を支えるように鉄鋼産業での連続鋳造化など技術開発を梃子にした製品と生産との改革を継続し、総合的に所謂、技術立国に成功したと看做してよいと考えます。その代表的製品がカメラ、時計そして電卓でした。技術革新過程に於いて半導体産業の恩恵を受けたこれらの産業でもμコンピュータでの先行開発に成功し、その設計仕様は現在の半導体産業での勇者インテルですら、その事業の立ち上げ過程における日本企業の先行開発と技術移転とが同社を成功に導いた牽引車だったのでし、自動車用の半導体も最初の製品は東芝によるフォード向け半導体だったと言う具合でした。勿論ハイテク分野で覇権を獲得した日本企業への風当たりは厳しく、数量規制やアンチダンピング関税など貿易障壁を盾にして欧米企業とは技術と産業保護との摩擦に拡大してきたことは想像に難くはありません。

◆日本が直面した課題とその要因

IT産業の事業モデルへの追従困難 

②世界の経営環境変化への適応力 

③発展途上国に対する事業拡大への戦略 

④為替水準のハンディキャップ

⑤大型寡占化投資への躊躇

R&D投資の管理と圧縮

 

このような技術立脚型経営に成功していた日本を襲い今日直面している困惑して事態へ激変した要因はどこにあったのでしょうか?それへの疑問を解くことが大変重要な課題です。筆者の観測では、その原因は複合化しているとしか言いようがありませんので、考えられる多くの要素を先ずは列記することから問題の根源を探索することにしたいと思います。

 

 

IT企業の台頭】           

先ず日本型経営モデルが競争力を失った引き金はIT産業の台頭である。PCは皮切りに技術プラットフォームの構成、技術優位な事業領域への特化、技術基盤と事業競争優位性との総合的評価を基礎にした事業モデル形成など共にNADAQを中心とする米国発のイノベーション主体型経営を支える知財戦略や財務戦略の経済環境面での相違の制約を越える為の経済システムの問題が多きく影響したと考えている。

①知財でのインテルやマイクロソフトの事実上の標準化競争に勝利出来なかったこと、②Googleなどの新たなIT産業で革新的事業モデルを構築できなかったこと

以上の2点が成長するIT産業で後塵を拝する帰結になった。マイクロコンピュータなどのデバイス技術では先行していたはずだが、世界の新産業での経営基盤を構築できなかったことは、通信でのルータ―事業を皮切りにインターネット事業で後追いする立場に追いやられた。このIT産業でのつまずきを契機にして盤石と考えられてきた日本の製造業の世界的地盤沈下に繋がった。

 

【中国企業の成長

IT産業のインパクトに並ぶ第2の課題は、1990年代からの中国企業の成長である。多くの日本企業は初期段階では1985年から始まったドル安現象への対応で生産拠点を展開してきたASEANの拠点を中国へ移動するという対応に始まったが、欧米諸国はその環境変化を新たな事業機会と看做し、膨大な投資を断行してきたという相違があった。特に先進国に接近してきた韓国企業の対応や台湾企業の中国を梃子にしたEMSの成長は、日本企業の国際展開力を越える事業成果を生み出し、物価水準と可処分所得が低い発展途上国への事業展開には当初関心は薄かった。           

問題は、その劣後した国際化に対応する戦略が「選択と集中」に舵を取り、不採算事業の縮小に関心の的が移行するに従い、我が国最大の経営資源であった技術と技能を縮小させることに奔走したことが決定的に我が国製造業の地盤沈下を誘発したと考えている。つまり日本にあった技術基盤は一気に成長国へ移転し、技術資源を囲い込んだ産業以外は急速に国際競争力を失う結果に陥った。

上記した①から⑥まで列記した問題は、欧米、韓、台の企業経営との比較で日本的経営が国際競争上問題を起こす要因になったと考えているが、その詳細には本稿では触れない。しかし、企業経営の背景に日本の経済システムの問題がなかったとは言えない。物価水準も賃金水準も高い我が国企業が、より低所得の需要の応えるだけの経営改革ができなかったといえばそれまでだが、近年のアップルや三星電子の成長と我が国企業の経営とを比較した場合、明らかに、経済システムの不利益を越えて国際的に事業を伸ばす為の叡智に欠けていたと言う他あるまい。

 

20122MOTセミナーに学ぶ

では今回のMOTセミナーで課題提起を快諾頂いた()デンソーの経営は如何なる意味があるのであろうか?その意義に若干触れさせて頂くことにしたい。

同社の経営で他の日本的企業と比較して優れていると考えている。

1点は本研究会と深く係わる課題だが、技術基盤を重視しその優位性の強化に普段の努力を傾注するのみならず、基盤技術を定義し拡大・深耕し、製品事業の革新に長期的視点で取り組んできていること。つまり技術立脚型経営の真髄を観察できている。事業面では採算性により選択と集中と言う視点で事業の組換を行うよりも技術を梃子にしての製品革新により経営努力を傾けてきている点も、感心させられる。

2点は、特に世界の自動車メーカを顧客として捉え、最先端の経営を走るトヨタとの技術研鑽をベースに先ずは開発部隊が可能な限り全ての顧客でもある自動車メーカと開発連携を締結、その後の量産移行時点ではじめて生産拠点問題を検討するという経営姿勢にも大きな成功の要素が見られる。つまり競争会社の存在を許さない先行した国際的事業展開を継続している点でもある。

3点は、進出した発展途上国での経営問題への対処である。事業展開が不可避であるとの決意から、技術基盤の保持に関するマネジメントの関心が高いだけではなく、人的資源の強化・育成に普段の努力を怠らない点も、同社の事業発展への決意の程を思い知らされた。総合的に技術立脚型経営と言う視点からデンソーの経営を見た場合、正に技術基盤をベースとしてイノベーションを中核にした経営を展開している点、顧客との関係から利益志向的判断に惑わされない事業立ち上げと顧客とのリレーションを前提にした長期的経営を継続してきている点、最後のその国際事業マネジメントの方針とも言うべき人材育成への熱意の高さの3つに集約できると考えている。

デンソーの経営は頭書に記載した日本企業が国際的経営環境の波に揉まれて経営的問題に汲々としている姿と比較してみた場合、正に経営の基本を立て事業運営面で変化に適応しながらも、経営方針は揺らぐことなく、世界の産業発展を支えてきたことである。同社の経営はその意味で日本企業が希求すべきモデル的経営であるとも断言できる

詳細は、同社の前会長・社長である岡部様の講演録を読んで頂きたいが、敢えて巻頭にその視点を披歴させて頂いた。