《2012年2月MOTセミナーより》

「物を作り国をつくる」-自動車産業から見た技術立国日本の将来-(2012年3月1日)

1、 はじめに

11、憂慮すべき風潮

最近、マスコミの記事や、学者先生方の意見を伺っていて、日本という国が物つくりへの関心が薄くなってきた。これは非常に問題だなと思っておりまして、機会があれば物つくりの重要性を訴えたいと思っておりました。私は経営者の立場でここ十数年やって参りましたので自動車産業を通して、今日の日本の物つくりは、これから如何すれば良いのか、このままで良いのか、皆様と意見交換をさせて頂きたくてやって参りました。

マスコミの気になる記事のひとつ。225日号の週刊ダイヤモンドで日本の著名な経済学者が「円高で赤字になるのは国際競争力が無いからだ」と書いておられます。一見当たり前に思えますが、この一ヵ月ぐらいの間にソニー、パナソニックとシャープといった日本を代表する電機メーカーが赤字になったことを合わせて考えてみると「だから駄目なのだ」と、この先生は言いたいんだろうと思うんです。しかし、これらの企業にとっては、これは酷な話だと思います。エルピーダの破産も同様です。ここ1,2年の間にこれだけ急激な円高が進行したら物つくりの企業は生きてゆけません。これがこの国の一番大きな問題であるのに、政治家も官僚も行政も放置している、放置しているというのが言いすぎであれば、非常に関心が薄いことが国家として深刻な問題なのです。今日本の製造業で利益率10%を出せる企業は非常に少ないのです。学者の先生方は「だから体力がないのだ」と言いますけれども、ここの認識が薄いわけです。この先生は、リーマン・ショックのとき「日本は製造業主体で来たから駄目なんだ。もっと早くにIT中心のソフト、サービス、コンテンツのビジネスにシフトしていたら、日本はこんな風にならなかった」と書いていました。日本の経済は、本当にソフト、サービス、コンテンツだけで成り立っていけるのか。今日の不況時にソフト、サービス、コンテンツが経済の牽引役になれるのかといえば、到底無理であって、結局、日本経済は物つくり企業の盛衰にかかっている。ということに対し、世論、特にマスコミの人達が軽視していることを心配しています。

 

226日の某新聞で「車もガラパコス化の懸念」の記事が載りました。フォルクスワーゲンがガソリン車の燃費向上技術開発に力を入れ、この方向で生き残ろうとしている。だからそうなるのではないか、という内容です。

 

日本企業は省エネエンジンを開発してきて現在世界で一番この分野で技術開発が進んでいる。この記事を書いている記者はこのことを勉強していないのではないか。今後、省エネ車の主力は何になるのかというと、我々が見るところEVは不十分。既存のバッテリー技術が大幅に革新されないと、EV車が大量に売られることはまずない。次世代自動車は省燃費のガソリン車かHV車になる。前者は軽量化しつつエンジンの改良を進めている。この技術開発の最先端は日本の企業が行っている。HV車の技術開発は、日本の独壇場である。マスコミの人達はなかなか認めてくれないけれども、510年の間に大きな技術革新が起きなければ、HVが主流でないとやっていけない状況になりつつある。そういうことを誰が見ているのか。

某経済誌で「電子部品もついに陥落!猛威を振るう三星」の記事が出た。チップコンデンサーの市場の17%を三星電機が握ったという内容。2/3は日本勢がシェアーを握っているにもかかわらず。この記者たちは三星の実態を知らないのではと思うが、三星は、外部より技術を導入し安く作って輸出して競争で勝つ基本戦略である。スマートフォンや液晶テレビの大きい市場占有率があり、これらの製品でチップコンデンサーを大量に消費している。これを内製化したことがシェアーアップの背景である。しかし、業界の最先端技術である0.1mm0.2mmの製品は、三星ではまだできないと思う。日本勢は以前は90%の市場占有率を有していたが、中国や韓国へ日本の技術が流出しシェアーを落とした。しかし、チップコンデンサーの製造設備はコンデンサーメーカーが内製しているから、最先端のものは三星は簡単に追いつけない。こうした実情を良く知らないで記者が書く記事が日本の若者の物つくりへの関心を薄れさせていることを懸念している。これからの日本の経済は、物つくりを離れて発展するわけがない。ソフト、サービスとコンテンツのみでは生きてゆけない。物つくりに日本固有のソフトとサービスを加味してこそ、日本の成長が有る。このことを国民に理解させることが非常に重要である。

米国はオバマ政権になって物つくりに力を入れている。80年代から米国は物つくりの手を抜いてきた。こうしたことが米国の物つくりを弱体化させてきた。自動車分野でも同じ。GMは公的資金の投入で再生したが、物つくり力は疑問である。GMは、米国神話が残っている中国で頑張っているが、競争力には不安がある。オバマ政権のもう一つの柱であった再生エネルギー分野はシェールガスが大量に見つかって熱が冷めてしまい、ソーラーパネル生産の大手企業3社が倒産した。米政府は、海外の企業に米国へ来てもらって物つくり力を強化しようとしている。人口大国米国でさえITと金融だけでは食ってゆけないのが現実だ。IT,金融ビジネスは、高学歴、特殊能力者のみ食ってゆけるが、大半の人は職に就けない。普通の人の働き場所は物つくりしかない。北米における日本の自動車メーカーの物つくりに米国人は感謝している。3年前トヨタバッシングが起きたが、これに対し日本の政府はだれも動かなかった。

マスコミは、公聴会の場面をこれでもか、これでもかと映したが、トヨタの反論はどこも報道しなかった。助けてくれたのは現地の州知事だった。

韓国の企業は、政府と一体になって動いている。為替はできるだけウォン安を維持し輸出競争力を高める政策を進めている。そういう背景で三星や現代が世界市場で活躍している。こうした実態を理解していただきたい。

 

12、会社の紹介

グローバル市場で競争力を高めてきたデンソーのお客様は、世界の自動車メーカー、エンジンを使う建機・農機具メーカーですから、一般の方には馴染みが少ないかも知れませんが、事例として紹介させて頂きます。

デンソーはトヨタより分離独立した企業である。1949年トヨタの業績不振の中で、独立した。従業員1500人、資本金1500万円、負債14000円を抱えて独立した。大変な状況で何時倒産するかという状態。そのときのトヨタの社長に言われたことは、「トヨタ自動車に頼って生きてゆく会社にはなってくれるな。どこでもいいから自分たちで販路を拡大して生き延びて欲しい」と。だから、私どもの会社だけ「日本電装」と日本という名前が付いた。この意味は日本中から注文をとれという意味だった。しかし、デンソーは独立後4カ月程で破綻状態となった。自動車部品(スタータ、ダイナモとラジエータ)、家電商品(ラジオ、洗濯機、アイロン)と電気自動車の3事業で生き延びようとした。当時50台くらいの電気自動車を作り市場へ流した。電気自動車が売れていたら、わが社は自動車部品メーカーでなかったかもしれない。19504月に破綻状態になって、リストラを迫られ2ヶ月間労働争議が続いた。「今後、会社が復活したら優先的に君たちを再雇用する。今のままでは1500人全員が路頭に迷ってしまう。ここを良く理解して欲しい」と経営トップが組合の幹部に頭を下げて厳しい争議を終結させた。1950年秋、朝鮮動乱が勃発し特需で日本の製造業は皆元気になった。自活するために開発をしていた家電事業は他社へ売却し、電気自動車は中止し、自動車部品メーカーで再出発した。朝鮮動乱後に戦後不況が来たが日本企業は体力を蓄えていたから乗り越えられた。1953年ドイツのロバート・ボッシュと提携した。彼らは自動車部品分野での世界企業で、当時日本でのパートナーを探しており、松下電器、日立、三菱電機などを候補として調査していた。彼らは、将来自社のコンペテイターになる可能性が少ないデンソーに決定した。以来デンソーは年々業績を拡大し1990年ボッシュを抜いて世界1位の自動車部品メーカーになった。成功の要因は4つあると考えている。

 

デンソー成功の要因

①創業時の厳しい労働争議の経験から「人をたいせつにする経営」に徹したこと

 労使協議会を作り、毎月組合の幹部へ常日頃の経営状況を公開しながら労使の話し合いをできるようにした。当時の日本でこうした企業は少なかったのではないか。

②愚直なまでに物つくりに努力したこと

 限られた経営資源を集中的に投入し、物つくり力

強化に磨きをかけた。

③早くから海外を目指したこと

 早くから海外を目指した。1965年輸出を開始。Fordへ部品を販売したが、涙ぐましい苦労をした。デンソーの営業マンは、購買担当者に面会すらしてもらえず、毎日受付の女性と面会し、プレゼントなどして仲良くなり、彼女から購買の担当者を紹介していただき、やっと商談が出来たという。自動車部品のビジネスは、商品を使っていただけば良さが分るから、採用されることになり以後拡販ができた。今日では世界中の自動車メーカとの取引をしている。ありがたいことに、デンソーの名前を言えば各社のトップも会ってくださる。商売は長い歴史があって信用が出来る。

④早くから高度のマネージメントの仕組みを導入したこと

 早くから品質管理を重視し、1961年自動車業界で最初にデミング賞を受賞した。これによって品質を良くすることを学んだ。また、同じ頃に事業部制を導入した。分権制の導入により事業単位で予実管理ができる体制を確立した。こうした経営努力の積み重ねにより、グローバル時代に対応できる経営体質ができた。

1990年代バブルが崩壊し、米国ではGMからデルファイが、Fordからビステオンが社内部品加工部門から独立して部品メーカーを設立し、ボッシュが部品メーカーを買収したため、デンソーの売り上げは世界4位に後退したが、その後再び世界1位に返り咲くことができた。

 

2、 事業環境を大きく変えた2つの出来事

21、ソ連邦崩壊に伴う「パックス・アメリカーナ」時代の到来

歴史的に見れば1980年代は日本の一番良かった時代であった。製造業はかなりの業種で世界のトップレベルにあったが1990年代から競争力の低下が始まった。その原因の一つはソ連邦が崩壊し、パックス・アメリカーナ時代の到来したこと。今ひとつはIT技術の急速な進歩に基づくグローバル化(第三次)が進展し、情報が瞬時に世界を駆け巡るようになり、後発国が競争相手として参入してきたこと。これによって低価格競争が始まり、世界の競争条件が激変した。加えて日本はバブルが崩壊し、ダブルパンチをくらった。

またグローバルスタンダード経営の普及により、米国と同じ様な考えでマネージすることを求められるようになった。1980年台の終わりごろの日米構造協議で米国が要求し、2,3年後に日本に普及した。株主重視の経営が広まり短期的利益を追求するようになった。マスコミや学者の先生方、エコノミスト、アナリストたちも企業活動に短期的利益を要求する時代となった。私が社長になってIRで言われたことは「お前のところは、償却費、R&D費、人材育成費が多すぎる。これを削れば倍の利益がでる」と指摘され、これをもっと削れといわれた。「何を言ってんだ!俺たちはあなた方のために経営しているんじゃない!」と言いたかったが言えないから丁寧に説明した。私が社長を務めている間、経営は大変だったが不況でも人減らしはやらなかった。

目先の利益は、簡単に出せる。しかし、それをやれば会社は終わってしまう。経営者は企業を永続させ、一定の利益を出しつづれられる企業を作るために人づくりが出来る環境を確立することだ。デンソーは、R&D費として単独売り上げの10%、連結の8%を投資してきた。これだけの研究開発投資をした企業は、自動車業界を除けば数は少ないと思う。またデンソーは型・治工具の設備等は全て内作している。一時期はこれに係る社員が、4000人を越え、日本でも有数の設備メーカーだった。人材育成にも非常にお金をかけてきた。1970年から国際技能オリンピックに参加し金メダル二十数個をとった。この間、国際技能オリンピックへ社員を参加させ続けて人材育成をしてきた日本企業は、私の知る限りトヨタ、日立とデンソー3社だけだ。二千年代に入りオリンピック参加を中止していた日本企業がまた参加するようになってきている。これは人づくりをしっかりやらなければ物はつくれないことを感じ出したからと思う。新しい技術を育てるには、試作し、動作を確認し、改良を繰り返さないと技術は生まれない。日本の多くの製造業が試作を自前で出来なくなっている。大田区の中小企業団地には優秀な中小企業群がある。その一つ岡野工業の社長は「あの会社のあの製品もこれも、これも俺が作ったんだよ」と話してくださった。東大阪にも優れた中小企業団地がある。ここにはいろんな技術を持つ企業が集まっている。こうした匠をどう支えてゆくかは、国としての問題である。

近年、日本衰退論が幅を利かせるようになった。スイスのビジネススクールIMDが国別の競争力ランキングを発表している。80年代の終わり頃よりランキングの発表が行われるようになった。発表当時23年、日本は世界1位であったけれど、2000年には21位に後退した。これをとらえて、進歩的な経営者たちが「だから日本の物つくりは駄目なんだ」と言い出した。私は、これはおかしいと思い調べてみた。ランキングの評価方法を確認してみると、評価項目のかなりの部分が聞き取り調査になっている。日本人は自分を良く言わないから評価は下がるのは当たり前だ。当時日本の物つくり企業は頑張っていた。特に特許の出願件数は、トップ10の中に日本企業が上位5,6社いた。この間業績は悪かったかもしれないが技術開発はしっかりやっていた。これが2000年代になって花開くのだけれども、こうした現実を直視し、日本の良いところを伸ばし、悪いところを補ってゆくことを国がやらなければいけないのではないか、と申し上げたい。


22、リーマン・ショックと世界同時不況

米国で起きたリーマン・ショックは、米国内の問題だから日本への影響は少ないのではと見られたが、日本の実体経済は大きな影響を受けた。ショックは一時的だからそんなに心配しなくて良いが、急激な円高が発生したことが問題だ。これはショックだった。この中で自動車産業はどうであったかというと、米国は日本バッシングを発生させ、時間稼ぎをしてGM,Fordを救済した。そういう状況の中で現在日本は不況に陥っている。これが現実の姿。だしたら、これからどう脱却するか。これが課題です。こうした観点で日本の自動車産業を見てみたい。

 

 

3、グローバル市場で競争力を高めてきた日本の

自動車産業

 

31, 1990年以降の推移

1990年自動車の国内生産はピークで1,350万台位だった。国内販売は782万台。2000年国内生産1,000万台、国内販売台数は約600万台。国内の落ち込みを海外で挽回し頑張ったが、競争が激化し企業は苦しかった。1998年ダイムラーとクライスラーが、1999年日産とルノーが合併し業界の合従連衡が進んだ。こうした企業が成功したかと言うと、必ずしもそうではなく、1990年代に物つくりに力を入れた企業が2000年代に成長した。米国のビッグスリーは物つくりから力を抜いた結果、物つくり力が低下し、競争力を失った。 

 

32、日本車の競争力向上の要因

The End of Detroit」によれば、日本車の強みは、第一に顧客ニーズにマッチした商品づくりと提供。第二は高品質、高耐久性にある。初期品質は手間隙かければ良くなるが、耐久品質は簡単には良くならない。日本車が売れる原因は、米国の中古車市場で価格が下がらないことが特長だった。駐在員が帰国するときに、新車と同じ価格で売れるくらい日本車の信頼性が評価されていた。ビッグスリーは品質、信頼性、耐久性とスタイルの全てが駄目だという評価だった。

2000年から2007年に日系車の世界の需要が約560万台増えた。日系車の販売台数は推定で1,650万台から2,200万台以上へアップした。リーマンショックで需要が冷え込んだ。それで日本車たたきが起きた。これに加えて東日本大震災とタイの大洪水被害で物が作れなくなった。アメリカという国は面白い国だ。日本たたきの公聴会の席で涙ながらに訴えていた女性がやらせだったという。それだけでなく、一年半トヨタは技術を調べると言うことで店晒しにされた。一年半たって運輸長官は、「調査の結果トヨタには問題はなかった。私は娘にトヨタ車を買えと勧めた」と堂々とテレビで発言した。アメリカ人は凄い。日本バッシングの間にフォルクスワーゲンなどのドイツ車ならびに韓国車がシェアーをアップした。日本が物を作れない間に間隙を衝かれた。当たり前のことだ。ユーロが安いからVWは輸出有利である。ドイツは物つくり力が強いから世界中でドイツ製品は伸びる。短期的にはこうしたシェアーの変動は起こりうる。重要なことは、苦境に陥っても、競争条件を考慮しつつ、これから長期的にどう挽回するかの戦略が必要で、企業を永続させる根本をどう強化するかが経営の根幹である。トヨタと本田など日本車の売れている車はHV車を中心とする省燃費車である。日本メーカーは、継続して新しい技術を育ててきたから、販売の競争力を強くし業績を伸ばせるのだ。だから、物つくりを徹底的に強化すれば会社を永続できることを強調したい。

 

33、部品メーカーの海外進出増加

   (略)

 

 

4、日本経済発展の道筋

41、相対的に強さを保つ日本の物つくり産業

 これからの日本経済は物つくりを基盤とした仕組みなくして発展しない。その理由は、この国の成り立ちから言える。デンソーは世界32カ国位でビジネスをやっていて、私自身は40カ国以上の国を見ている。日本ほどつくりに適した国は世界中探しても存在しない。これは、伝統的な日本の技術、伝統文化を先輩が努力して残してくれた遺産であると思っている。

中国や韓国にない日本の強みは、

1)幅広い技術と技能の蓄積がある

  私は自動車部品工業会の仕事を7,8年務め、世界の部品の物つくりを見てきた。韓国の弱みの一つは、物つくりの裾野が狭く浅いことだ。

2)優れた中小企業の技術とネットワークの存在

  これは既に述べた大田区の中小企業団地や東大阪の中小企業団地が代表するようにネットワークが構築されていることである。

3)作業者の質が非常に高い

 日本と同じように作業者の質が高い国はドイツである。ドイツにはマイスター制度がある。ドイツでさえマイスター制度が成り立ちにくくなってきた。ドイツの教育制度は、大学まで行く高等教育のコースとマイスターのコースの二つがある。国が法律で大企業にマイスターの採用を義務付けしているが、近年子供たちがマイスターに成りたがらなくなってきた。もう一つは、労働組合が強く賃金が高いため、海外へ工場が移転し、マイスターの働く場所が減少していること。教育レベルの高い、質の高い作業者が居なくなったら大変なことになる。大企業は自前で人を育てるからまだ良いが、中小企業は大変だ。仕事がだんだん減ってきて、人も集まらず組織を維持できなくなってきている。そうしたときに、国として考えることが非常に重要な問題である。

4)整備されたビジネスインフラの存在

 電気、ガス、水道、交通インフラ、ITいずれも日本は一流だ。例えば、これだけ質の高い電気を安定供給する国は余りない。中国やインドでは頻繁に停電するから、自社発電を備えなくてはならない。こうした有難味が国内にいるとわからない。米国は送発電分離といっているが、日本がこれをやったら電力コストは安くなるかもしれないが時には停電が起きる。米国でたまに大停電が生じるのは、電力会社が民間企業だから、余分な投資はしないことによる。日本の電力会社は10%位の予備が持てるような設備投資をやっている。どんな辺鄙なところへでも電気が送れるように送電網を引いている。ただ、これ以上電気代が高くなれば、日本の強い産業の素形材、高機能部品、金型や工作機械などの資本財と言われているところが競争できなくなって海外へ出てゆくだろう。今のレベルで質の高い電力を如何に供給するかは物つくり日本の死活問題だ。例えば、太陽光発電や風力発電は、非常に不安定な電力だ。これを集めて使うことになると、どこかに蓄電装置が必要になる。電力コストは、太陽光発電や風力発電のコストに加えて、蓄電池のコストが上乗せされることを考慮しなくてはいけない。こういうことを考慮して、電力行政を進めなくてはいけない。一つの解は、原発が駄目なら天然ガスであろう。日本列島の周りには大量のメタン・ハイドレートがある。米国でシェールガスの実用化が進んだことも朗報である。これが利用できれば、安定した電力を低コストで供給可能になるだろう。

5)良好な組合関係

 色々言われるけれど、労使関係がこんなに良い国はない。今のような韓国の労使関係では日本のような物つくりは出来ない、と韓国の部品メーカーの人達は言っている。この点がどう改善されるかが韓国の課題である。日本はこの良さをもっと伸ばしてゆかねばならない。

 

42、日本経済成長の鍵を握る物つくり産業

 物つくりは人つくりと言うが、人つくりにもっと力をいれなくてはならない。最も良いのは長期雇用である。三星は人材募集に大金を投じ優秀な人を採用する。5ヶ国語くらい話せるのが当たり前になっている。その上、国ぐるみで経営をやっている。韓国経済の8割は輸出であり、輸出依存度が非常に高い国で、その二割余を三星が担っている。韓国経済に占める三星の存在は大きい。だから、これをしっかり守らざるを得ない。

 

43、日本的経営の再構築

 小泉内閣が「日本ものつくり大賞」を創設してくれ、国が物つくりをしっかり支援してくれていた。デンソーは第一回ものつくり大賞を受賞した。また、研究開発への優遇税制度や人つくりへの税の優遇があった。最近はマスコミでもこうしたことを報道しなくなった。その結果、大学生の就職先ランキングで製造業を希望する人が少なくなった。今こそ若い人たちに訴え、物つくりの重要性を理解させる努力が必要である。デンソーは技能五輪へ参加する人を育てる為に毎年中卒を数十人採用している。今日、中卒を採用することは、至難の業だ。デンソーへ入社した人は、給料をもらって学び、高校卒の資格が取れる。優秀な人は更にその上の短大の資格もとれる。こういう人たちをマンツーマンでミッチリしこむと、技能五輪でメダルが取れる技能者が育つ。彼らを見ていると人間の能力は限りがないとと感じる。20μ程度の加工精度の工作機械を使って、1μの精度の部品を作ってしまう。人の手の感覚でこれを実現してしまう。デンソーには、ディーゼルエンジンの噴射装置の部品加工で1μの加工精度を要求する部品があり、ディーゼルエンジンの試作加工を自前でするために、こうした技能者が必要である。

 デンソーの技能者は、非常に優秀で色々なアイデアをだす。二十層ものプリント基板を加工するアイデアを出し、実用化を達成させたのは、現場の技能者だった。物つくりは、大卒の技術者と優秀な技能者が協力して初めて出来るのであって、技術者だけでは出来ない。

 

44、グローバル経営のあり方

 グローバル経営では、現地企業として認められることが大切だ。トヨタバッシングのとき、現地州知事が助けてくれた。内作率は米国のビッグスリーよりトヨタのほうが高かったからだ。

デンソーのタイ工場では、現地の社員が技能オリンピックで金メダルを取った。その前には銀メダルを取った。日本企業はタイの技能者育成を手伝っている。グローバル経営は、現地の人を使い、現地の材料を使い、現地の人のための物を作ることだ。中小企業はグループで海外進出をし、多様な仕事をこなせるチームになれば成功の可能性が高くなる。

いまひとつ大事なことは、それぞれの国の法律を理解しこれを遵守し行動することだ。デンソーでは、関係者を集めて集合教育をし、徹底しているが、なかなか難しい。

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5、 重要性増す経営者の役割

51、ビジョンの構築 

52、事業戦略の決定

53、リスクマネージメントの重視

(第5章は時間の関係で割愛いたしました)

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6 質疑応答

理事:有益なお話有難うございました。わが国が物つくり産業によって支えられていること、物つくり経営の基本は人つくりであることは、先生の仰るとおりと存じます。今後、日本の製造業は中国を始めとするアジア諸国と共存共栄の関係を作りつつ発展してゆくものと思いますが、アジアの人たちとの付き合い方についてご助言をお願いします。

岡部:共存共栄のためには、現地人を使い、現地の材料を使い、現地の人に役立つ経営をすることが基本です。デンソーでは研究開発の基本部分は国内でやっているけれども、ドイツや中国などにも現地研究開発部隊を有している。長期的な展望を持って日本と海外拠点の役割分担をして進めている。短期的にニーズがあるから現地へ出てゆくやり方ではうまく行かない。アジアが伸びることは間違いないから、大手企業は、皆さんうまくやっていらっしゃると思うが、中小企業は独自では出来ないから、大手企業と一緒にやるか、中小企業でアライアンスを組んで海外へ進出するのが良いと思う。

理事:技術立脚型経営では、人を育てることが大切とのお話がございました。中国では日本のようにうまく人を育てられない。また育つと退社してしまうという悩みがあります。

岡部:出て行っても仕方がない。それでも人を育ててゆく。これを積み重ねることによって道が開けると思う。デンソーも同じことを繰り返しているが、優秀な人が戻ってくるケースもある。日本人のような高い帰属意識を持つ民族は少ないから、良い企業というイメージをしっかり確立することが肝要で、長期雇用政策を打ち出すのも一策である。

理事:中国人の現地採用は、どのように進めたらよいでしょうか。

岡部:デンソーでは海外拠点を作るとき、本社の人事が現地へ行き、現地人の力を借りて採用する。採用者を日本へ連れてきて研修し、彼らを現地の幹部社員としてオペレーションをする。その後採用した社員で優秀な人は日本へ連れてきて教育し幹部に育ててゆく。

生徒:中国へ出るなら腹をくくって行くということですね。

岡部:そうです。日本の企業は狙われやすい。これから賃上げは日本の会社へ言ってくると思うが必要ならやらざるを得ない。

生徒:人材育成で技能者の育成のお話がありました。技術者の育成についてお願いします。

岡部:デンソーは三層のレベルで育成しています。

  第一層:基礎研究所 

10年先を見た研究をする部隊

  第二層:本社開発部 

5年先の研究開発を担当する部隊

  第三層:事業部の開発部門 

現事業対応の開発部隊

第一層の社員には長期間研究させ本社開発部門とローテーションを行っている。技術者の教育システムとしては、技能研修所と技術研修所があり、技術研修所では大学の先生にお願いして、最先端の技術の話を学ばせている。自動車部品は、ソフトが絡むので全技術者にソフトを学ばせてレベルアップさせ、事業部の開発にあたらせている。その他、「技術開発討論会」で発表させ全社の動きを理解させている。研究開発活動には会社として相当力を入れている。

生徒:中国に研究開発センターを作ると、技術が流出してしまいコスト競争に巻き込まれてしまう懸念があります。対処の仕方をお願いします。

岡部:この問題は素晴らしい解決策はない。流出がいやなら契約書でしっかり抑えるしかない。それでも盗まれるのは仕方がないと思ってやるしかない。チップ・コンデンサーの人に「おたくはいいですね」と言ったら「いや中国で生産しないと仕事にならないのです」と言われ、「中国に追いつかれて仕事にならないのでは」と言ったら「ミドル以下の部品は真似られても仕方ないが、トップレベルのコンデンサーは彼らには作れないでしょう」と言われた。このようなものつくりの条件をどう確立するかが経営課題です。現地へ行かなければビジネスが取れない。覚悟してやるしかない。

理事長:ソフトウエアの技術者は、中国にも質の高い人が沢山いる。これを積極的に使ったほうが良いのでは。

生徒:中国へ合弁で進出したいが、不安があって出にくい。

岡部:小規模でまずやってみることです。駄目ならやめればよい。中国市場で戦うなら出るしかない。どこまで覚悟してやるかだ。学生数は多いから上手くやれば人は集まる。どこまで任せるかはやってみるしかない。アプリケーションは現地でやるしかないと思う。

理事長:島津さんもそうですか。

生徒:現地化のために中国へ進出していますが、コストダウンは出来ますが、顧客のニーズ把握が困難で困っています。

岡部:島津さんは高度の分析機器を持っていらっしゃり、それを使う企業もわかっていらっしゃるのだから、商品を売る前に顧客のニーズを調査してみるのが良いのではありませんか。

生徒:お客様の要求は様々で数量がまとまらず困っています。

岡部:新規市場で市場を獲得するのは簡単ではありません。時間をかけて営業力を育てることが大切です。デンソーが北米へ出たのは、日系の自動車メーカーから一緒に来てくれといわれて出たのではない。日本で生産した部品を持ち込んで販売し、販売量がまとまってから現地生産をスタートさせた。手順が逆なのでは。

生徒:ジェットエンジンの開発を海外企業と提携してやっていますが、いつまでたっても開発技術者が提携先を追い越そうという気概にならないのですが。

岡部:設計者の意識が低いのは、彼らに与えている目標が低いからではありませんか。自前の技術を育てるという目標を掲げては如何でしょう。私が入社したときのデンソーは、提携先のボッシュッより売上高が2桁少なかったのに「ボッシュに追いつき追い越せ」をスローガンに掲げていました。

生徒:国際規格でエンジンを製造している現場は鍛えられるのですが、設計者は下請け意識が強く抜け出せない。

岡部:長期方針で負けないものを作らないとたいへんですよ。

理事長:頂いた資料にあります、トップのマネージメントの図(*)をご説明ください。

岡部:私は、入社以来、経営管理本部でスタッフの仕事をしてきました。6人の社長に30年間お仕えしてきました。その後事業部長、役員を経て社長になりました。マネージメントのあり方については、いやというほど勉強しました。その中で、マネージメントとはこういうことかと会得したことを絵にしてみました。その要点は4つあります。

① 高い目標をかかげ努力しているか

② しっかりとしたマネージメントの基盤が

できているか

③ マネジーメント・サイクルをうまく回す仕事のやり方となっているか

④ 業務活動の結果を評価するしくみを持

っているか

一日24時間の中で社長が出来ることは、知れている。仕組みを作り、これを回しながら経営することです。3ヶ月業績不良が続いたとき、担当役員に報告させる。担当者の能力不足と判定すれば、他所から人材を投入する。計画を作ってやってみて、駄目だったで、お終りにしてしまうのが駄目な会社の経営です。駄目なときどう助けるかが、マネージメントです。ドラッカーが「組織は、社会への機関であり、組織を動かすエンジンが、マネージメントである」と言っています。マネージメントは人である。人をどう動かすか、問題解決するかがマネージメントです。

PDCA(Plan Do Check Action)をどう上手く回してゆくかに帰結する。デミングサークルはマネージメントの学問から導入したものであるが、これを伝える先生方は殆どいなくなった。

理事長:高い目標を掲げることが肝要とのお話がご

ざいましたが、国際競争力をどう高めるかが

目標だと思うのですが。初日3Mさんのカスタマーカーセンターを見学し、顧客ニーズに対応した新製品を豊富に開発していることを学びました。高い目標を設定し実現すればおたおたしない。一般の会社はこれが出来ない。

岡部:10年先の在りたい姿を描き、人々の生活、自動車産業の姿を分析しビジョンを作ります。それに基づいて5年先の事業はどの水準に達していなければならないかを想定し、短期の事業計画を作り、何で闘うかを明確にすることです。

 高い目標として世界一商品つくりを掲げ、ビジネスの三分の一位をこれにする。世界一商品は特許で保護する。

私のときは二十数個の世界一商品を作りました。差別化した技術開発と商品開発力をいかに強化するかに尽きます。これが企業競争の源泉です。ディーゼルの噴射技術はボッシュ、デンソーとフィアット3社しか出来ない。エレクトロニクス技術、ソフトウエア技術とシステム技術を念頭に置き他社に負けない技術を確立してきた。この分野では他社に負けない技術を確立している。これを脅かす技術が出るかウオッチしている。お客様が採用してくださるかの調査が重要で、品質の高い商品をスペックダウンして安くするアプローチは、安くならない。こうやって勝てる商品を育ててゆくことです。スタータは地道に軽くすることを徹底して追及してきて、売れ始めた。今あるものをニーズに合わせて改良することを徹底すれば、戦えるようになる。

 

生徒:社長のスタッフの心構えを教えてください。

岡部:六代の社長に仕えてきたが、トップの人もきちんと見て、支えてくれる人がいないと働けません。社長のスタッフには、社内の情報は全て入る。問題が起きればチームが出来る。全社がどのような方向へ進むべきか常に考えてきた。社長とスタッフは軍隊と同じで東郷元帥と秋山真之の関係です。それぞれのスタッフが自分の分野では相手に絶対負けないという人が多くいれば、会社は安泰です。スタッフは常に社長の視点で仕事をすることです。やってみて、悪ければ変えればよい。それだけの権限をもらっているのではないですか。

生徒:マネージメントの図で一番大切なことは目標設定ですか。

岡部:会社の方向決めは、トップしか出来ない。私が社長のとき年商1,000億円あった携帯電話の事業をやめた。液晶や家庭用製品もやめた。赤字で残したのはカーナビゲーションシステムとディーゼル事業でした。新規事業を始めることは簡単だが、中止することは、困難である。デンソーは日本のモルモットといわれるように物つくりをやってきた。ディーゼルもやっと儲かるようになったが、何を残すかの判断は難しい。こうした決断はトップしか出来ない。

生徒:現状では35年間で新規事業を考えろと言われるのが常です。

岡部:短期的に諦めないこと。物を育てるには長い時間がかかる。1960年ごろLSIを始めた。1968年内製化した。将来排気ガス問題が出ると予測し、電子部品で処理しないと解決できないとのトヨタの判断で、デンソーが担当した。15年くらい赤字が続いたがこれを我慢して続けて来た。排ガス規制によって黒字化した。

生徒:世界一商品はその後どうなったのでしょうか。開発はSeed、Needのどちらでしょうか。

岡部:今はOnly One商品で継続している。常に新しいものを作るというパワーがないと続かない。開発はSeed,Needの両方ある。小型、軽量化はデンソー主体で開発し技術の棚入れをしている。客の要求で開発する世界一商品もある。

生徒:10年先のNeed予測により開発をするのですか。

岡部:そうです。技術マップを作りながら行っています。今の技術は10年では育たない。トップが覚悟して決定してやらないと出来ない。シリコンカーバイトの基盤つくりは十数年かかった。これができるとインバータを小型化できるので取り組んだ。フロンガス代替の研究は早くからやっていた。炭酸ガスしかないという結論になり、シーリング技術を磨いた。このシーリング技術から派生したのが「エコキュート」です。東電とデンソーの共同プロジェクト作品です。

 物になるかどうか分らないが決めてやるしかない。これがトップマネージメントである。

理事長:まだまだおはなしを伺いたいのですが、お時間が参りました。岡部様の講義はこれにてお開きとさせていただきます。ありがとうございました。                                                                       ()